次回会合日は
平成18年4月7日(金)
18:30〜 商工会館
です。
連絡網
【 2005年度 活動内容 その2】


●第9回情報交換分科会 内容
開催日時:平成18年3月3日(金)
出席者: 泣~トリ、代表取締役 石見邦夫
    18:30〜20:00 順不同 日本エートス梶A代表取締役 桑原 治夫
大和商工会議所 小会議室 ニッケン建設梶A代表取締役 横澤 創
鰹沁R工務店、代表取締役 市原 美智雄
叶テ科、取締役 掛田 康彦
叶テ科、武 紘一
東京葬祭 大和式礼、滝澤 康二郎
感イ・エム・ティ、代表取締役 中村 守
内容: 1.DVD観賞
       ディスカバリーチャンネルのDVD「戦艦大和 最期の一日」を観賞した。
:: 鑑賞からの好奇心 ::
▼艦内で迷子に!
戦艦史上最大の主砲を載せた大和の船体は巨大だった。大和に乗り、艦内に慣れるまで数日は自分の戻るべき場所がどこなのか分からなかった、と生存者の一人は語る。
▼標的が目で見られない
大和の主砲の射程距離は40km。あまりの遠さに標的が目視できず、攻撃時は偵察機を飛ばす必要があったほど驚異的な射程距離だった。
▼駆逐艦1隻よりも重い
大和には砲塔が3つ搭載されていたが、その1つ1つが米軍の駆逐艦1隻分ほども重かったそう。
▼発射時には注意
世界最大の主砲はラッパの合図の後に発射された。ラッパが鳴ると甲板上の乗組員は衝撃で2、3mも吹き飛ばされるのを防ぐため、急いで物陰に身を隠した。
     2.今年度の反省
       @DVD鑑賞と「大和の歴史探訪」は内容的にも良かった。
       A特に「大和の歴史探訪」はバラエティに富んだ講師の声を聞けて面白かった。
     3.次年度以降について
       @座長は大変かも知れないが継続させて欲しい。
       A次年度は「大和の歴史」を踏まえて「大和市の活性化」をテーマに勉強会を行なう。
       B出席出来なかった会員の意見も聞いて方向性を決める。
       C分科会はコミュニケーションの場として、また、年毎にテーマを替えられる勉強会
          の場として存続は必要。
     4.次会の会合内容
       内容については追って連絡をする。
       平成18年4月7日(金) 18:30〜 大和商工会議所 会議室


●第8回情報交換分科会 内容
開催日時:平成18年2月3日(金)
出席者: 泣~トリ、代表取締役 石見邦夫
    18:30〜20:00 順不同 日本エートス梶A代表取締役 桑原 治夫
大和商工会議所 小会議室 ニッケン建設梶A代表取締役 横澤 創
講師:加藤 和重氏 石井理容室、代表 石井 孝幸
    長谷川 賢太郎氏 褐テ木企画 加藤 恒夫
    岩崎 清昭氏 潟Xズキピアノ商会、代表取締役 鈴木 洋子
泣rーワンテック、斎藤英昭
内容: 1.大和の歴史探訪(その4)・・・講演会
       「大山街道と下鶴間宿」
 
今回の大和の歴史探訪は「下鶴間宿」に焦点をあて、大山街道の宿場として栄えたころのお話と、旧「小倉邸」の復元に際して行なわれる「たいまつとぼし」のお話などを講演していただいた。
 岩崎氏、加藤氏、長谷川氏3名は「下鶴間宿」の中で育った旧友で現在もそこで住まわれており、先祖からの言い伝え、自分の体験を交えてお話頂いた。
     2.内容
●大山街道(矢倉沢往還)
  大山街道は、江戸の赤坂御門を起点として、青山、渋谷、三軒茶屋より瀬田を経て、多摩川を二子で渡り、多摩丘陵、相模野の中央部を横切り、足柄峠手前の矢倉沢関所に至る脇街道。
  江戸時代中期以降、江戸庶民の大山詣りの道として盛んに利用され、矢倉沢往還は「大山街道」、「大山道」と呼ばれるようになった。この他、大山へ向かう道を総称して「大山道」と呼んでいた。
  下鶴間宿はその中間地点くらいに位置し、新編相模風土記稿によると、規模は戸数122軒、東西に3.6km、南北に3.7kmで矢倉沢往還、八王子道の交流地で駅郵、人馬継立が置かれており、山本屋、松屋、三津屋、千年屋、角屋、かたいやなどの旅篭が並んでいた。

●下鶴間宿
   1862年
     人馬継ぎ立ての場として栄えていた。年間700人ほどの人馬を継ぎ送りした記述あり。
   1669年
     武蔵国長津田村の助郷(宿に対して人馬調達を補助する村)として人馬継立場が設置される。
   1816年
     伊納忠敬による第9次測量隊が測量の為に長谷川彦八宅に宿泊。
   1831年
     渡辺崋山が相州厚木まで旅をする途中下鶴間村の「まんじゅうや」に一泊する。
   1889年(明治22年)
     下鶴間村、深見村、上草柳村、下草柳村が合併し鶴見村となる。
   1891年(明治24年)
     大和村と改名。
   1943年(昭和18年)
     町制により大和町となる。
   1959年(昭和34年)
     件か4番目の市、大和市として市制施行。
   ・明治期
     大山街道沿いに家屋が連担しており、周囲には田、畑、山林が広がり、まだ江戸末期の様相を色濃く残している。
   ・大正期
     依然下鶴間村への集中が続いているが、他の場所へも徐々に集落が出来始めている。
     依然、周囲は田、畑、山林が広がっている。
   ・昭和初期
     昭和4年には市内に小田急江ノ島線が走り、大山街道と交差する場所に「鶴間駅」が開設。
     周辺は未開拓の状態。
   ・昭和中期
     昭和18年に海軍による大和駅を中心とする土地区画整理事業が始まり、現在の大和市の骨格が出来た。
   ・昭和40年代
     東京ベットタウンとして市全体に人口の急増、建築ラッシュが始まり都市としての成長を見せる。

●旧小倉家復元事業
     下鶴間宿旧小倉家歴史資料館が18年4月に開館します。
     この建物は大和市教育委員会によると、江戸末期に建てられた商家と農家の二つの構造を持った日本では珍しい建物だそうです。
     この開館を機に郷土の良き風習を子供達に伝える媒体として当日はイベントを行ないます。     この地方に古来より伝わる結婚式の儀式に従い、市長、会頭を仲人として「たいまつとぼし」を行ないます。
     日時:平成18年4月18日(火) 10:00
     場所:下鶴間交番となり
     イベント:この地方に伝わる結婚儀式(松明とぼし)の再現など

     3.次会の会合内容
       1.DVD鑑賞
         2.今期の反省と来期のテーマについて
       平成18年3月3日(金) 18:30〜 大和商工会議所 会議室


●第7回情報交換分科会 内容
開催日時:平成18年1月6日(金)
出席者: 泣~トリ、代表取締役 石見邦夫
      18:30〜20:00 日本エートス梶A代表取締役 桑原 治夫
大和商工会議所 小会議室 ニッケン建設梶A代表取締役 横澤 創
竃]月自動車、望月 圭二
拒蝌aマイクロサービス、代表取締り役 成沢 豊
泣rーワンテック 斎藤 英昭
拠|田工務店、竹田 栄
バリュートラベルサービス求A小椋 奉明
潟Gイエムティー、中村 守
内容: 1.DVD観賞 
       ディスカバリーチャンネルのDVD「地球外生命との遭遇エイリアン・プラネット」を観賞した。
     2.次会の会合内容
       
       平成18年2月3日(金) 18:30〜
:: 鑑賞からの好奇心 ::
▼ゴルディロックス・ゾーン
太陽から遠すぎず近すぎず、生命が発生・存在するのに適した範囲のこと。太陽とちょうど良い位置を保てば地表に水が存在するはず。
▼フォン・ブラウン
二次大戦中はドイツでV2ロケットを開発。戦後は亡命した米国で研究を続け、米国初の人工衛星の打上げ成功やアポロ計画のサターンロケット建造など数々の功績を残した「ロケットの父」。
▼未来の惑星探査
次世代の地球型惑星探査方法は、無人艇を目的の星に派遣し直接地表や生物を調べること。本作では無人宇宙船を派遣、通信機能を持った小型の無人探査艇を射出し、星の地表から集めたデータを地球へデジタル送信する方法をシミュレーション。夢の調査実現はいつ?!

【 2005年度(その1) 活動内容 】
【 2004年度 活動内容 】
【 2003年度 活動内容 】
最終更新日:2006/3/6
事業所名
岡野電線
セイワ電熱
ニッケン建設
共同カイテック
石井理容室
潟eイエスイー
日特工業
拒蝌aマイクロサービス
潟jッコー
褐テ木企画
理容ハヤカワ
ワークアウト汲xSC
徳洲会 大和徳洲会病院
樺川製作所
泣rーワンテック
居ャ川コーポレーション
神奈川環境教育研究会 
潟Kスター
日本エートス
フジ技術士事務所
サンクラフトエヌビィ
竃]月自動車
牛K包
潟Tイドウェイブ
税理士法人中央事務所